いじめと先生

子どもの頃、私はあざの事でいじめられた記憶はない。

幼稚園や小学校低学年の頃はよくいじめられて登校拒否をしていたが、それはあざのせい

ではなく、気が弱かったせいだ。気の弱い子はいじめっ子の格好の餌食となる。

大きくなるに連れて、母親譲りのおちゃめな性格が幸いして、いじめられることはなくなっ

ていった。



「カメオンのHP」に記してあるが、一度だけあざについて言われたことがある。

小学3年(だったと思う)の時クラスで席替えがあった。

クラスのがき大将(A君)が私のあざのことを「きもち悪くって隣の席になりたくない」と言った。

次の瞬間、彼は先生に平手打ちをされ教室の隅に飛ばされていた。



先生は穏やかなタイプだった。声を荒げたり、勿論暴力など無縁な先生だった。

A君が教室の隅に飛ばされた瞬間クラスはシンとなり、その後何事もなかったかのよう

にホームルームに戻った。

今思い返すと、凛とした先生の身体からは怒りがこぼれていた。

先生は3・4と2年間担任だったが、最初で最後の怒りだった。



昨今のいじめのニュースを耳にするたび、その時のことを考えるようになった。

あの時先生がA君の言葉をやり過ごしていたらどうだっただろうか・・・と。

子どもは単純で残酷な面がある。

A君の言葉をきっかけに、私に対するいじめが始まったかもしれない。

あの時A君に対する先生の態度を見て、子どもたちは決してあざのことを悪く言って

はいけないと感じたに違いない。

何故いけないのかはわからなくても、明らかに悪いことだということが理解できた。

1学年2クラスしかない田舎の学校で、あざことでいじめてはいけないとすべての

子どもに広まった。



中学は町の大きな小学校と統合された。

田舎の小学校から来た子どもたちは、誰も私のあざのことを悪く言わない。

それは町の中学校に受け継がれていった。

A君とは中学でも偶然同じクラスで、勉強もよくできてとてもいいやつだった。



凛とした教師のクラスは凛とした教室になる。

凡庸で生徒に侮られる教師の教室は荒れる。

オオカミのボスは凡庸ではなれない。

凛とした強さとやさしさがないと群れは統率できないらしい。

それと似ているかもしれない。

体罰の是非は難しいが、そこに愛があるかどうかが問題だと思う。ありきたりだが。



先生は現在もご健在で、油絵をされていると母づてに聞いている。

一度、母と*展を見に行った時、先生の絵画を探した。

穏やかでとても繊細な風景が描かれていた。



現代の学校の状況はわからないが、昔は良くも悪くも個性的な先生がいた。

3つ違いの姉が中学の時、ムチを持ち歩く先生がいたそうだ。

それはさておいて、昔は先生に威厳があった。

夫は大の教師嫌いである。

夫が先生に叩かれたことを家で話すと、理由も聞かず「お前が悪いに違いない」と言って

また母親に叩かれたとか。

「お袋は、先生は絶対に間違っとらんと思っとるで」と言って夫は怒っていた。

夫の祖父(母親の父)は小学校の教師だったそうだ。

近所の女の子のスカートをめくる悪ガキだったというから、まあ叱られて当たり前かも(笑)

遠い昭和の時代のことである。



西に月

東から朝日