悪意不在

6月22日「騙されやすい人」に登場した**子。

少し抜けたところがあり同時に、何も考えず思ったことをすぐ口にする子だった。



一番覚えていること。

「**ちゃん、どうしていつもここ(手の甲を指して)ファンデついてるの?」



毎朝、カバーメイクの基本ファンデを手の甲に取り、カラー色を混ぜて色合いを

調整した後トントンと肌に重ねていく。

最後に手の甲のファンデはティッシュでふき取るのだが、薄っすらと跡が残って

いたのだ。そんなことは誰も気づかないと思っていたが、確かに不自然だ。



無邪気な**子に悪意はなく、本当に不思議に思ったに違いない。

おそらくほとんどの人が思っていたに違いないが、私の厚化粧から某かを推測して、

賢明で常識的な人は聞くことをしないのだろう。



悪意不在の無邪気さは、色々なことを気づかせてくれる。

素顔で暮らしていた頃、道端ですれ違った小学生に引き返して顔を覗きこまれた

無邪気さだ。



夏休み明けの出勤日、猛烈に忙しい事務所の隅で、**子は延々と日焼けでめくれ

かけた肌の皮をむいてたっけ。上司や先輩からも呆れて放っておかれてた。

子どもがそのまま大人になったような子だった。その頃まだ未成年だったはず。

今ではきっと、結婚して子どもも3人くらい産んで、ごくごく平凡ではあるけど

幸せな生活を送っているのではないかな。





あざがあることを打ち明けた同僚からのメールに

首までファンデをぬっている**ちゃんは何か理由があると思っていました・・
という言葉があった。わかってはいたが、それはドキッとするものだった。



やさしくて聡明なその同僚にはたくさん助けられた。

涙目により目じりからカバーメイクが剥がれていく。気になって仕事に集中できず、

化粧直しをしようとポーチを開けたら、なんとファンデのコンパクトを忘れてきていた。

思いきって同僚にファンデを借りると、「ごそっと使っていいよ」と気遣ってくれた。




あの頃は毎日があざとの闘いだった。

あざを隠して暮らしていくという闘いである。

その日常は静かではあったが、私の中では物理的にも精神的にも静かな闘いだった。



顔半分に厚化粧をし首までファンデをぬっていることを、アラフィーの今頃になって

今まで以上に恥ずかしいと感じるようになった。

昔は日々隠すことに一生懸命で余裕がなかったからかもしれない。



悪意不在の人の言葉は怖い。賢明な人はそっとしておいてくれるが、もうこんな不自然な

化粧をして、新しい社会や人間関係には飛び込みたくないと、若い頃にはなかった臆病な

自分がいる。



いい年をして今頃変に自我に目覚めて、こうやっていつまでも悶々としながら年を重ねて

いくのだろうか。