東京


36年前、はじめてアザがあって辛いということを母に告げた。

一緒に泣いて、地元の大学病院に行くことになった。

結局その頃はアザの治療など日本中(おそらく世界中)どこをさがしてもできる病院はなかったのだが、なぜか東京の慶応義塾大学病院を紹介された。


新幹線の乗り方もわからない母と二人で東京を目指した。

慶応義塾大学病院では数人の医師に囲まれて写真をとられて終わってしまった。

カバーメイクの会社を紹介された。

その頃はオリリーカバーマーク社、現在はグラファラブラトリーズ社だ。


往復の新幹線のキップを姉が用意してくれたのだが、行きの改札で全部渡してしまって、帰りの分をまた購入した。

予定になく一泊した宿泊代など、苦しい家計の中大変だったと思う。

けれど両親とも費用のことなど一言も口にしなかった。


慶応義塾大学病院の前で食べたちょっと汚い感じの中華料理店、せっかく出てきたのだからと地図で見つけて入ったブリジストン美術館、大きな幹線道路に出てしまい車を避けながらウロウロと歩いた高層ビルの景色、思い出すととても切ない。

母は覚えているだろうか・・・。