過去にタイムスリップしたら

CVで古ーい映画「ベン・ハー」を観た。
父が映画好きなので、子どもの頃に「日曜ロードショー」か「火曜洋画劇場」あたりで観た記憶がある。
ストーリーは子どもには難しくて理解できなかったが、何十年か振りにしっかり観たらなんと!、ストーリーにイエス・キリストが絡んでいた。


エスに関しては遠藤周作氏の著書の中に描かれるイエス様が好きだ。
こんな優しい人は神様に違いないと思えるほど癒される。
遠藤氏が亡くなって、遠藤氏の中のイエスに逢えないのが残念だ。


子どもの頃に絵本で見たイエス・キリストは意地悪だった。
パンを粗末にした弟子に、砂漠の中を歩きながらパンをちぎって砂の上に落としていた。
お腹を空かせた弟子はそれを拾っては拾っては食べていた。
意地悪くねえ?
これではパンのありがたみが分かる前にヒネちゃうよ。


何年か前、「カメオンのHP」で遠藤周作氏のイエス・キリストについて言いたい放題したことを思い出した。



2004.11.5
学生時代、遠藤周作氏の書籍ばかりを読んでいた時期があった。
数ヶ月前からもう一度読み返したいと、自宅やら実家やらを探しているのだが、見つからない。たくさんの書籍は何処へ・・。


石井政之氏の書籍「顔面漂流記」と改訂本「顔面バカ一代」の中にハンセン病についての記述があるが、(石井氏はハンセン病の初期症状のひとつ紅斑とアザが似てなくもないことや、アザも感染するのではと言われたりすることなどから<石井氏は実際言われたことがあるそう>、ハンセン病患者の歴史、取材をされている。「顔面バカ一代」を読んでください。)


学生時代、遠藤周作氏の著書ではじめてその病名を目にした。
遠藤氏の自叙でもあるその書籍の名前は忘れてしまったが、ハンセン病患者と(ボランティアで)ソフトボールの試合をしていた少年(遠藤氏)はボールを打ってベースに駆け込む際、ベースで待ち受けている患者の容姿に一瞬たじろぐ。
その時少年が患者からそっと聞いた言葉は、「行きなさい。私は触りませんから。」
少年は、大人になっても老人になってもその言葉が忘れられなかったであろう。


遠藤氏はクリスチャンでもある。許す神であるイエス・キリストについて書かれた書籍が多い。
うろ覚えだが「イエスの生涯」「死海のほとり」などがあったと思う。


キリストの時代、ガリラヤ湖畔は厳しい自然で、たくさんの病む人貧しい人が苦しんでいた。
エスは誰も近寄らない死の谷に行き、そこに捨て置かれたハンセン病患者の手を取った。
また、人から蔑まれ石を投げられている娼婦にそっと手を差し伸べた。
彼の心には、苦しむ人、悲しむ人、絶望する人の痛みが、自分の痛みと同じに映った。


彼はたくさんの奇跡を起こしたといわれるが、生身の人間が奇跡など起こせるはずがない。
彼の奇跡は愛に満ちていたことだった。
人は孤独で絶望をしている時、暖かい手を差し伸べられるだけで癒され、気力を取り戻すことがある。
気力は病を一時回復させることもある。
彼の奇跡は深い慈愛であった。
人々は彼に更なる奇跡を期待するが、生身の彼には神のような奇跡は起こせるはずがない。
やがて人々はイエスを見限っていく。


エス亡き後、彼の弟子たちはイエスの深い慈愛に気づく。
これが、遠藤氏の理解するイエスの復活である。


遠藤氏は現代にも奇跡はたくさんあるとされている。
アウシュビッツ収容所で、罰として一日一個のパンも与えられず泣いている人に、自分の一個のパンをそっと差し出し作業に出た人がいた。他人のパンを奪ってもしかたのない過酷な状況の中で。
そして、マザーテレサやシスターたち・・。


NPOユニークフェイスの石井代表の活動を知るまでは、どんなことでも仕方がないと決めていた。
ただ心は秘かに閉塞していた。
そんな若い頃、遠藤氏の著書は私の心を癒した。
奇跡の人、身体から愛が溢れる人。


少し強引だが、人は2種類であると思う。
見た目にハンデがある人と出会った時、嫌悪を感じる人(理性と道徳心で嫌悪感と戦う人も含めて)と、愛しみ(慈しみ)の心が生まれる人と。
愛しみが生まれる奇跡の人は少ないかもしれないが、確かにいる。
余談だが、遠藤氏のイエスは、嫌悪を感じる人を許し、嫌悪を感じてしまう自分に苦しむ人を深い慈愛で包んでくれる。


幸いなるかな 心貧しき人   天国は彼等のものなればなり
幸いなるかな 泣く人      彼等は慰められるべきなり



ベン・ハー」を観終わったら無性にイエス・キリストに逢いたくなった。
過去に一度だけ行って誰かと会えることができたら、ぜ〜ったい坂本龍馬!と思っていたが、心変わりした。
イエス・キリストに会いた〜い。